気まぐれ日記 2011年7月

2011年6月ここ

7月1日(金)「なでしこチームが圧勝・・・の風さん」
 輪番休日が始まった。節電のための負荷の分散で、自動車産業は木金を休日にし、土日を稼動に変更したのだ。
 色々なところで影響が出るが、何とか対応しなければならない。
 とにかく休日なので作家業を頑張らねば。
 昨夜は遅く帰宅したが、低下した気分と戦って、葉書を2枚書いた。朝食後にそれを出すため、ミッシェルで最も近くにある分局の郵便ポストを目指したら、目の前で集配車が出て行ってしまった(笑)。今日も何となく雲行きが怪しい。
 結局、昼食をはさんで昨日までの疲労をとるのが精一杯だった。
 夕食後、地デジ対応に取り組んだ。明日、液晶テレビが届くので、サイドボードのブラウン管テレビ周りを整理したのだ。
 ビデオデッキとPS2の配線を外し、テレビだけにし、掃除もやった。
 日ごろテレビを観ない風さんだが、試しにつけてみると、日本のなでしこチームがメキシコと試合を始めるところだった。
 ちょっと眺めたら、すごいハイレベルで、パスがじゃんじゃん通る。日本の勝利を確信したので、安心して2階の書斎へ戻った。
 不思議なもので、執筆を再開できた。
 予想通りなでしこチームは4−0で圧勝した。澤キャプテンが大活躍したのだ。
 午前1時過ぎにシャワーを浴びたら、原稿のアイデアまで浮かんできた。
 映画『ハスラー』の冒頭部分でポール・ニューマンがやったのを真似して、ビールに生卵を落として飲みながら、浮かんだアイデアをどんどんメモにした。これで詰まっている原稿の突破口になると思った。
 なでしこチームに感謝である。

7月2日(土)「デジタル処理?・・・の風さん」
 昨日は輪番休日が開始して最初の休日(本来稼働日)で、今日は最初の稼働日(本来休日)である。
 家を出発してすぐ、異常に車の走行量が多いことに気が付いた。
 昨日は電力供給は余裕があったらしいが、それだけ多くの企業が休んだお陰だろう。その分、今日は出勤する人が多いのだ。
 土日に会社が稼動すると、家は家で家族がエアコンを使いながらテレビを観たりするわけで、両方で電気を使う。気温が上昇すれば、土日といえど、やはり電力ピンチになるのではないか。
 今日は旧職場で仕事をしたが、暑かった。午前中は元気があったが、午後からバテ気味だった。
 速攻で退社し、私が主催する文章サークル教室に行った。
 爆走したわけではないが、30分で着いた。さすが田舎だ(笑)。
 いつものメンバーに、私が他愛もない話題提供(今回は『日本語大シソーラス』が入った電子辞書の便利さ)をした後、持ち込まれた作品で勉強した。
 帰宅したら、地デジ対応テレビが設置されていた。
 電源を入れたら、郡山市の電器屋で観たのと同様にきれいだった。不思議だ。
 さらにじっくり観察すると、人間の顔や腕といった肌がとても健康的で美しい。これは何らかのデジタル処理がされているのではないか。ゾンビ予備軍の私でも、あそこに写ったら、若返るのかもしれない。おお、・・・。

7月3日(日)「今日は日曜日?・・・の風さん」
 精神的に自由人のはずなのに、輪番休日になったらどうもおかしい。
 今日が日曜日だろうが稼働日なんだから、平気で仕事に行けばいいのに、なぜか心身ともに日曜日モードになっている。変だ。やはりボケかもしれない。
 五大路子さんのファンクラブのやっちゃんと電話で話した。あれからまだ1週間ちょっとなのに、ずいぶん昔のような気がする。早く残務を整理して、次の仕事に着手しなければいけない。お互いに同じ思いで、妙な励まし合いになった。
 帰宅した。
 液晶テレビがリビングで異彩を放っている。今日は、元からあるビデオデッキ(DVD再生機能付)をつないで、視聴できるか確認した。
 できた。
 契約の関係で、BS放送が見られないため、ワイフは韓国ドラマを2階の長男の部屋でアナログテレビで観た。
 根性で執筆をしてから寝たが、こんなペースではいけない。

7月4日(月)「もも・かき育英会・・・の風さん」
 今朝の通勤渋滞はひどかった。なぜだろう? サマータイムにした企業があるなら、もっと空いているはずだし……。
 T製作所に直行したのだが、ミッシェルを止めるスペースがなかったため、会議をパスして研修所に向かった。
 プライベートも忙しいが、会社の仕事も忙しい。今日は、頑張って資料をたくさん読んだ。やはり知識がないと仕事が進まないからだ。
 帰宅したら、やっと「もも・かき育英会」から案内書が届いていた。
 すぐに10年間自動振り替えの書類を作成したので、明日にも投函しよう。
 大阪の頼迅一郎さんから第48回長谷川伸の会報告の原稿がメールで送られてきたので、自分のスピーチの修正に取り掛かった。要点をおさえて且つボリュームも減らさなければならない。明日も続きをやろう。

7月5日(火)「今年も亀が卵を・・・の風さん」
 梅雨はまだ明けないが、そこそこ暑い。もっとも当地は、35℃を超えないと「暑い」とはいえないくらい、夏の暑さはハンパではない。なので、そこそこ暑いとは、30℃は当然超えているが、35℃未満なのである。
 そのせいか、電力消費量もまだピンチとはなっていない。最大消費量となる時間帯も午後2時前後と想定通りである。
 今日は会社で終日資料の収集と読み込みをしていた。まるで自宅でしている作家業と同じ。しかし、自宅と比較した場合の作業環境はかなり悪い。ハード(PCを中心とする)もソフト(文献や資料)もである。ま、会社の不満を言っているより、あらためて自分の執筆環境がけっこうマシなことを再確認できたので、そっちを頑張ろうと思った。
 今日は職場の戸締り当番だったので、帰宅がやや遅くなった。
 我が家にはメスの亀がいるのだが、小さいときから何年もたった一匹で飼っている。それが、数年前突然卵を産んだ。今年もその異常現象が出て、続けて3個も産んだ。繭玉のような形状である。育ちそうな健全な外観ではないので、どうしようもない。
 いつものように疲労困憊だったが、書斎に入って執筆を、と思ったが、その前に今夜はやることがあった。それを夢中でやっているうちに体力の限界がきた。

7月6日(水)「今も続く古き良き時代?・・・の風さん」
 昨夜は珍しく早く就寝した。疲労のために深く深く熟睡したと思う。
 けど、早起きできなかった。
 郵便物を投函してから研修所へ出社。
 夢中で仕事し、夕方、退社される先輩の講演を聴講してから、謝恩会へ。
 超多忙な私はミッシェルで移動した(今夜も飲まない飲み会)。
 会社の先輩の謝恩会だったので、「昔(若い頃)はずいぶんみんなと酒を飲んだなあ」という思い出話が出た。豪快な仕事をしていた人たちの「古き良き時代の話」だ。
 私も豪快な仕事をしていた一人のつもりだが、酒は飲んでいなかった。家でやることがあったからだ。そして、今夜も、一次会が終了すると、さっさとミッシェルで帰宅したのだった。

7月7日(木)「雨の日のドライブは危険・・・の風さん」
 昨夜帰宅してから、今日の非常勤としての講義の準備をした。終えたのが午前3時である。
 それからシャワーを浴びて寝たのだが、午前4時近かった。
 起床は午前9時。朝食も摂らずに、準備の続きをやった。
 そして昼近くなってしまったので、トーストを1枚だけ食べて、ミッシェルで出発した。
 今日は荷物が多いのだ。
 講義の最後に、某事業所の宣伝DVDを見せた。製造現場をほとんど観たことがない学生たちなので、専門用語ばかりの授業でなく、なるべく写真や映像を見せるようにしている。
 学生たちは、前回私が出したレポートを全員が持ってくるというまじめさで、なかなか気持ちいい。
 講義を終えて、強引な私は、そこから床屋へ向かった。
 ミッシェルで1時間半かかった。
 珍しく居眠りせず、読書しながら散髪をしてもらい、ようやく家路についた。
 梅雨が明けないので、また雨がしとしと降っている。
 だんだん自宅が近づいてくると、そこは田舎道である。
 今頃の雨の日の田舎道は危険である。亀や蛙が路上にいるからだ。
 ライトで照らしだされる路面にも十分注意を払って運転する。
 うずくまっている蛙やぴょんぴょんはねている蛙がいたが、巧みに避けて走った。

7月8日(金)「8ヶ月ぶりのトレーニング・・・の風さん」
 東海地方は梅雨が明けたらしい。平年より11日も早いそうだ。これから電力の正念場の夏がやってくる。
 年が明けてから無茶しまくっていたので、もう体力的に限界にきているようだった。
 それで今日は、思い切ってトレーニングに出かけた。
 8ヶ月ぶりである。
 極端は私は、むさぼるようにトレーニングに励んだ。広背筋を鍛える大好きなラットプルダウンが故障中だったのはガッカリだったが、ほぼフルメニューをこなした。実に2時間もかかった。
 前後で体重が0.6kg減ったので、きっと汗が600ccぐらい出たのに違いない。
 帰宅してぬるい風呂に入った。
 気分は爽快だった。
 遅れている執筆も、体力を回復して、スピードアップするに違いない。
 
7月9日(土)「深夜、長男が帰宅・・・の風さん」
 いよいよ夏本番といった感じである。次女がデザインしたポロシャツで出社。超クールビズでないと仕事がつらい。とはいえ、暑いことは暑い。
 ラジオ体操、神棚参拝、定番の会議をこなしてから、自分の仕事に取り掛かった。
 一つのことに集中するのは困難なので、少しずつ処理していく。
 定時になって速攻で退社。途中でミッシェルに給油した。燃費は10km/L。
 それより、気温が高いときはミッシェルのパワーが低下する。これが嫌だ。
 明日は日曜日だが、輪番休日で稼働日になっている。しかし、友情出演で講演することにしたので、有休を申請している。勤務先のPRが主な内容である。職場の上司は「出張にしてあげられないかな」と言ってくれたが、母が倒れて以来、甘え過ぎているので、有休で対応することにした。
 講演内容は得意の勤務先PRバージョンなので、少し改良することで、だいたい準備できた。
 深夜、長男が帰宅した。
 京都からではなく、名古屋で友達とコンサートを聴いた帰りである。
 のんきな行動をとっているので、奨学金の不採用通知が、今日届いたところだ。昔の人間に言わせれば「天罰」ということになる。が、しかし、学業を続けるためには、資金が必要だ。2度目の大学進学は、親としては就職扱いなので、学資も生活費も自前でやってもらう。人生について悩む絶好の機会になるだろう。
 そう言っている私自身も、実は学資で悩んでいる。自分のだ。
 
7月10日(日)「本山で友情講演・・・の風さん」
 入社して初めて日曜日に有休を取得した。輪番休日なので、こういう面白いことを経験できた。いつか思い出として語るときがくるだろう。
 今日は、本山キャンパスで友情講演するのだ。つまり同窓生の要請にこたえての出講である。内容は、デンソーの紹介。いちおう得意ネタではある。
 まだ気力・体力ともに余裕がないので、定刻できちんと動く電車はやめて、柔軟なミッシェルで本山へ向かった。そして、金力も余裕がないので、有料道路をやめて、下道を走った。往復約100kmである。
 本山は社会人学生時代のホームグラウンドなので、何かにつけて気分的に楽だ。
 聴講してくださる先生方も、気さくな人ばかりで、とても話しやすかった。
 講演を終えて、歓談している中で、機械工学分野の問題が話題になった。あらゆることの基盤になる学問を含む機械工学だが、近年の政府の指導で、科学(サイエンス)重視になり、学生に教えたり、研究者が論文投稿したりしにくくなっているというのだ。
 福島の原発の問題も、原子力や放射能が悪いのではなく、プラント技術つまり工学における基盤技術をおろそかにしたことがいけないのだ。
 帰宅したら、疲労が@@@(ちょっと使うのは気が引ける)のように押し寄せてきて、夕食前までリビングでぶっ倒れていた。
 とにかく、また一つ、肩の荷をおろすことができた。

7月11日(月)「不貞寝することもある・・・の風さん」
 何となく週明けのような感じだが、そうではない。輪番休日の間は、土曜日から稼動するので、月曜日はウィークデーの真ん中である。
 今日は、会社の仕事が忙しく、夕方まで夢中で取り組んだ。
 そして、定時後に、自分で主催した会議を運営し、久しぶりに暗くなって退社した。
 仕事を終えた充実感で、気分はまずまずだったが、帰宅して、今日もらった賞与の明細書をワイフと眺めてショックを受けた。
 我が家としてはお金のかかる期間がまだ当分続く。そういうときに限って現金が不足している。それを補うのが賞与なのだが、リーマンショックで激減して以来、未だに復旧しないのだ。
 すっかり落ち込んだ私は、さっさとシャワーを浴びて、なんと、10時半に就寝してしまった。
 こういうのを世の中では不貞寝とも言う。
 ワイフに言わせると、私の7月の星占いはあらゆる項目が絶好調らしいが、現実はそんなに甘くないということだ。
 
7月12日(火)「二度あることは?・・・の風さん」
 研修所へ出社するときは、有料道路を利用する。安全だし、時間も短縮できる。
 だからと言って、いい気になってスピードを出してはいけない。30年無事故無違反の金字塔がもろくも崩壊してしまう。
 出社時、覆面パトにつかまっているドジなやつがいた。愚か者め。
 研修所の昼食は、実はほとんど選択の余地がない。利用者の数が少ないため、バリエーションを豊富にしたのでは割安で提供できなくなるからだ。
 まあ、私のように好き嫌いの少ない人は問題ないだろうが、世の中、そんな人ばかりではない。
 今日は、人気のカレーライスだった。
 速攻で退社した。
 帰りも有料道路を利用したが、もちろんスピードは控えめにした。
 おっと、また覆面パトにつかまっている奴がいた。今朝と同じ覆面パトだ。
 何をするにも体力が必要と判断した私は、体育館へ直行し、トレーニングをしてから帰宅した。
 夕食は、我が家でも人気のカレーライスだった(笑)。
 朝夕2回、覆面パトにつかまっているドジな奴を笑ったことと、これは関係ない。

7月13日(水)「1年中働いていても・・・の風さん」
 輪番休日など、1年365日働いている私には関係ないと思っていたが、意外ととまどう。
 木金休みなので、今週とか来週と言う場合、いつから始まるのか、すぐにピンとこないのだ。
 週末とか週明けという表現も違和感がある。
 今日は水曜日だが、週末なのだそうだ。だから、週明けは土曜日からだ。
 普通に生活している(たとえば子供のいる)家では、家族との会話も混乱していることだろう。
 今日は製作所へ出社した。
 ここは職場が暑い。会議室も暑い。最近は蛙の絵が描かれた扇子をいやみったらしく持ち歩いている。
 昔は扇子を使う職場の先輩を「爺くさい」と思ってにらんでいたが、今は、私も軽蔑のまなざしで見られているに違いない。
 帰宅したら、またまた楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。
 人気のタイムスリップ名探偵シリーズ第20作かな。『徳川家康は名探偵』である。まだ残っていたか、家康が。
 さっぱり執筆が進まない私は、それを見てまた落ち込んだ。

7月14日(木)「ボケ戦士・・・の風さん」
 毎日がボケとの戦いである。しかし、ボケ老人でも、いったん入った仕事はこなさなければならない。
 今日は非常勤講義をする日である。電車で本山キャンパスを往復した。
 いちおう睡眠時間は足りているので(誰も信じてくれないだろうが)、往復の車中で読書するため単行本をトートバッグに入れた。この本は重いので、モバイルパソコンのアプリルは書斎でお留守番だ。講義の資料はSSDのメモリの中だ。
 地下鉄の駅から出ると、夏らしい青空と強烈な日差しである。最近、夏の暑さが好きだ、などとほざいているが、暑さに鈍感になっているのは老化現象の一つらしい(どうもボケが頭から離れないな)。
 近くの銀行に寄った。いよいよ覚悟を決めたので、来週の選考試験を受けるための受験料を振り込むのだ。貧乏人としては気が引けるが、老人の最後の抵抗と考えれば、あとで後悔しないため、やはり挑戦することにしたのだ。なんだ、結局ボケに通じる話なのか。
 今日は大学院の学生に「かんばん方式」について、90分間くどいくらいていねいに解説した。
 まっすぐ帰宅した。今日もひたすらたまった仕事の処理である。
 ボケ対策で挑戦している英単語の暗記は、就寝前にやった。これだけだな、楽しいのは。

7月15日(金)「1日1ボケ・・・の風さん」
 今日は、来週の選考試験のための応募書類を簡易書留で送るデッドラインだ。
 最後に残っていたのが、課題エッセイの作成だった。昨夜下書きしてあったので、リファインするだけだから、午前中にはすべて完了するはずだった。
 応募書類を封筒に入れる前に、もう一度、送付リストをチェックしていたら、モレに気が付いた。課題エッセイの課題は3つあるのだが、1つ選択して提出すればよいものと思っていたのが間違いで、実は3つとも書いて提出しなければならなかった。
 早くも今日のボケを1つ消化してしまった。「1日1善」のように、自分でおしまいにできる代物ではない。まだ1日は長い。
 愚痴を言っている場合ではないので、急いで残り2つに取り掛かった。こういった作業は時間さえあればできることだし、他人よりは絶対に早い自信はある。しかし、2つは2つだ。
 昼食を抜いてぶっ続けで取り組んだ。郵便局が閉まる前に簡易書留を出さなければならない。
 準備できたので、ミッシェルで炎天下の公道へ走り出した。
 実は、A4サイズの入る封筒が切れていた。途中でホームセンターに寄って購入した。100枚入りである。とにかく風さんは郵便物が多い。
 郵便局ですばやく封書をこしらえて、窓口へ持って行った。係りの人は親切で、書類も作成してくれた。
 すべてが終わって帰宅したが、どっと疲労が襲ってきた。
 簡単に昼食を摂って、少し体を休め、夕方からトレーニングに行った。
 今日は気さくなトレーナーが、正しいウォーキング方法や、速く走るための考え方、そして広背筋の鍛え方などを教えてくれた。
 うれしかったが、ボケない方法までは怖くて聞けなかった。

7月16日(土)「脱力感・・・の風さん」
 土曜日だが週明けである。何となく変な感じだが今週も頑張ろう(笑)。
 旧職場へ出社。
 もういくら何でも限界なので、同僚にExcelでの計算方法を教えてもらった。来週の非常勤講義で必要なのである。軽く質問してみたら即座に回答があった。なーんだ、やっぱり知らないのは風さんだけだったんだ〜。とは言いつつ、学生には難しいと思った。
 午後、職場の防災訓練なので、周囲に迷惑をかけないように、研修所へ移動した(なんのこっちゃ)。
 到着してから予定外の打ち合わせがあったので、実務が進まなかった。
 やっと「日本機械学会誌」7月号が職場に届いた。今年3月に表彰を受けた優秀講演論文賞の記事が小さく載っていた。
 仕事がたまっていてストレスもたまっているので、定時で退社。途中で用事を済ませようと、有料道路は使わず、いつもと違うルートでやっと目的地に着いたと思ったら、なんと、忘れ物をした! 今日も1日ボケ1件か……。
 近くなのでミッシェルに給油してから帰宅したら、我が家が真っ暗。そうだ。ワイフは飲み会で留守だったのだ。なんとなく脱力感。

7月17日(日)「執筆だけが進まない・・・の風さん」
 8時前に研修所に到着。旧職場ではしょっちゅうやっていた交通安全立哨を、ここでもやると言う。でも、今日は日曜日だ。交通量があまりないと思うが……。
 決められたポイントでなく、表道路に移動して交差点に立った。
 確かに道路は日曜日モードだ。
 近所のおじいさんが自転車でやって来て、黄色い帽子にたすきがけの我々を見て「日曜でも、そんなことやるぅ? いやー、ごくろうさん」と声をかけてくれた。大笑い。
 昼前に本社へ出張した。あちこち用事を済ませて、3時過ぎに戻ったが、食堂で大学の後輩に何年かぶりでバッタリ会った。9月ごろ、ゆっくり情報交換しようと確認し合って別れた。
 今日も定時後即退社。
 昨日とほぼ同じルートで走った。最初にある場所で買い物をしてから、昨日の目的地(薬局)へ向かった。今日は忘れ物はちゃんと持ってきている。
 やっと着いたら、閉店していた。日曜日は休みなのか、もう閉店時刻になっていたせいか。脱力。
 就寝前に、やっとある単行本を読了した。上山明博著『「うま味」を発見した男』である。力作、労作である。非常に好感がもてる作品だった。

7月18日(月)「落ち込みかけることが多い・・・の風さん」
 世間は「海の日」で休日のところも多いが、完全週休二日制の企業は出勤日。現在輪番休日体制だが、木金ではないので出勤日。ややこしいが、とにかく今日は出勤日。
 台風が接近している中、T製作所へ出社。定例の会議があるのだ。非常に早く着いたので、ミッシェルの中で英単語の勉強をした。
 昼前に研修所へ移動。
 今日は戸締り当番だが、節電の関係で、電力使用量の記録も仕事の中に加えられた。データを蓄積しておけば、あとで分析できるわけだが、その分析方法まで考えていないところが、この組織の弱点だ。私自身も気をつけよう。
 意外と所員の退社が早かったので、私も急いで退社した。トレーニングに行こう。
 毎週月曜日は、体育館は休館日だが祝日の場合は開館して、翌火曜日が休館日となる。今日はその祝日で開館している日なので、行くことにした。何をするにも体力が必要だ。
 やや遅い午後8時に着いて、受付で手続きを済ませ、更衣室へ入って、さあ着替えようとしたところで、忘れ物に気が付いた。半ズボンのトレパンがスポーツバッグに入っていなかった。
 タオルやTシャツを忘れたぐらいなら、何とかなるが、会社のズボンをはいたままでトレーニングはできない。
 断念した(また落ち込んだ)。
 帰宅したら、(いないはずの)長男の部屋のドアががたがた鳴っている。
 接近中の台風のせいで、風が強いのだ。ときどき小雨も降る。
 ドアを開けて中に入ると、二つある窓がどちらも半開きだった。
 ワイフに指摘すると、ワイフの閉め忘れだということがわかった。昨夜からだった。
 夫婦で脱力。

7月19日(火)「VR見学出張・・・の風さん」
 暴風雨で目が覚めた。
 台風6号のせいだ。
 名前がついていて、マンゴーンというらしい。変な名だ。
 一時的かもしれないが、風雨が弱まったので、出社することにした。
 なでしこジャパンが優勝した。快挙である。こういうことで元気がもらえるのだから、今の私の精神状態は相当にやばいかも。
 午前中は臨時の会議。これでまた実務が進まない。作家としての私の状況とよく似ている(笑)。
 昼食後、風雨をついて、上司とミッシェルで出張した。県内にある某社のヴァーチャルリアリティシステムの見学である。
 まだ完成したばかりの技術で、応用の楽しみがいっぱいある。上司が満足したので、この出張は成功。

7月20日(水)「今日もまた失敗・・・の風さん」
 台風の上陸による公共交通機関のマヒを心配して、予定されていた工場見学会が、昨日延期された。
 時速15キロというノロマ台風が居座っている割には、天候は昨日ほどひどくなく、これなら実施できたかも、と思っても仕方ない。こういうものである。
 それなら、たまっている会社の仕事を一気に片付けようと、また無茶な考えが頭に浮かんだ。頭の中は常に前向きなのだが、体がついてこないのが昨今の悩みである。
 今日もまた失敗を一つやってしまった。作業中のエクセルファイルを、1ページだけ印刷しようと思っていながら、画面に見えないページをど忘れし、大量に印刷してしまったのだ。これは月給の何割かを返上しなければならない罪だ……が、生きていけなくなるとかえって会社に迷惑をかけるので、しばらく執行猶予とさせていただこう。
 帰宅するころには、すっかり天気が回復していた。

7月21日(木)「ナゴヤオクトーバーフェスト・・・の風さん」
 今日は最後の非常勤講義である。これまで準備することがたくさんあり、学生だけでなく私も良い勉強になった。
 行きの電車の中では、執筆中の原稿のための資料読みをした。
 名古屋駅には、少し早く着いた。買い物をするためだ。こういう超多忙のときでも欲しいものが生じると必死に買いに行くところは、母の遺伝かもしれない。物欲だけでなく、浪費してストレスを発散するのである。
 東急ハンズで、電池式の扇風機を購入した。暑い職場の自己防衛手段である。まずまずの品物が見つかって良かった。
 本山キャンパスで90分間みっちり講義してから、地下鉄で自由ヶ丘キャンパスへ移動した。
 大野先生を含め何人かの先生に届け物をした。それから、1時間ほどの待ち時間を利用して、執筆のための資料読みの続きをやった。
 そして、今夜のメインイベント、大野先生と田村先生と3人で、ナゴヤオクトーバーフェストへ出撃した。
 7月にオクトーバーフェストというのは変だが、ドイツ料理をつまみにドイツビールを飲むのだから、全く問題ない。これは呑み助の口実である。
 大変な混雑だった。元気を感じる。ボケと貧乏と虚弱体質で落ち込んでいる私は例外なのかもしれない。
 ああ、2年前のドイツは楽しかったなあ。
 たっぷり飲んで食べて大いにストレスを発散した。
 発散しすぎて、帰宅してすぐダウンしてしまった。

7月22日(金)「厳しい選考面接試験・・・の風さん」
 明け方、両足(ふくらはぎの部分)がつって目が覚めた。まだ起床する時刻ではなかったが、あまりの痛さに我慢ができず、階下へ降りてトクホンチールをすりこんだ。
 輪番休日の昨日も今日もワイフは外出している。
 それで、今日も卵かけご飯を3分で胃袋におさめて出発だ。この超多忙のときに、また名古屋へ行くのだ。用事は、名商大大学院の入学選考試験を受けることだ。自分の人生設計として、最後の(と言うよりやり残した)学生生活を還暦の前に終えておきたいと強く思っている。
 社会人入学は、提出した課題エッセイなどに加えて、今日の面接の結果で決まる。
 面接官は、やはり私より若い先生で、二人だった。
 厳しい意見や質問が浴びせかけられ、実にありがたかった。相当の覚悟がないと続かないことを、具体的に説明してくれたのだ。そして、「あなたにその覚悟がありますか?」というのが、質問の趣旨である。
 学費が続くかどうかで悩んでいた私は甘かった。
 しかし、若い先生方から老学生候補に対して、全く譲歩のない質問攻めだったので、むしろ清々しく、私は感謝の気持ちを抱きながら、あらためて挑戦意欲が沸いてきた。
 終わって真っ直ぐ帰宅した。
 さあ、原稿執筆だ。明日未明までに提出することを宣言しているので、死んでも達成しなければならない。
 
7月23日(土)「まだまだ頑張るぜ・・・の風さん」
 原稿が最後まで到達して、とりあえずメール添付で送信し終わったのが、今朝の7時半だった。
 また、やっちまったぜ(^_^;)。
 しかし、終わったときの爽快感は、なんとも言えない。ほとんどマゾ気分だ。
 今日は家から近い旧職場へ出社するという絶妙のタイミングだった。
 昼食後、研修所へ移動したが、安全運転に心がけた。心身は疲労の極地に違いない。
 こういうときに限って、上司から呼ばれて打ち合わせになってしまう。
 ほとんど自分のことができないまま、定時でさっさと退社した。
 自殺行為とは思いつつ、体育館に寄ってトレーニングをした。18日(月)の分も取り返した(んなバカな)。
 輪番休日中、英単語の暗記ができなかったので、就寝前に過去にさかのぼって挑戦した。
 その時点で心身の限界に達した。

7月24日(日)「ミッシェルが壊れた・・・の風さん」
 無理・無茶・無謀が服を着て歩いているような風さんだが、何とか今日も生きている。
 ところが、ミッシェルが壊れた。がたがた騒ぐことではないが、ダッシュボードのロックが折れて、閉まらなくなったのだ。つまり、常にオープン。助手席に乗る人は、不運にも、両膝を突き出して止めておかないと、ダッシュボードの蓋が開いたままでうっとうしいことになる。もっとも、両膝を突っ張っているのもうっとうしいだろうが。
 東急ハンズで購入した電池式扇風機がなかなか強力である。
 電池の充電は自宅で終えているので、会社に気兼ねすることはない。
 風さんは愚痴も多いが実行力も多少ある(と言えるほどかどうかはわからないが)。
 今日こそ、自分の仕事の挽回を、と思っていたら、また上司に呼ばれて打ち合わせをしてしまった(笑)。
 挽回するために、少し残業してしまった。
 来月の計画をそろそろ固めなければいけない時期になってきた。
 先ずは福島介護ツアーだ。第1週の輪番休日をからめて実施しようと思っている。

7月25日(月)「褒められていない・・・の風さん」
 月曜日だが週明けではない。しかし、週明けのつもりで気合を入れて起床した。
 よくやることだが、出社途中で郵便を投函した。出さなければならない郵便物がまだたくさん残っている。
 午前中の会議で、珍しく(いつもかもしれないが)放言した(笑)。愚痴や文句や小言が増えているような気がする。きっと老化現象の一つだろう。気を付けていても防げない。老人ホームのホーム長が、認知症になって現れる症状は、その人の性格が反映する、と言っていた。やばい(自覚症状)。
 やっと実務の懸案事項が一つ片付いた。他愛もないこと(他人のレポートを読んで理解し、質問点を抽出すること)だが、執筆と同じくらい真剣にやってしまうと、このザマだ。
 帰りに歯医者に寄って、定期健診を受けた。半年に1回で、いつもここで歯石をとってもらう。
 最初、看護婦さんがチェックして、「歯はしっかりしてますねえ」と褒めてくれた。歯石除去も終了して、医者がチェックに来た。やはり「歯はしっかりしていますねえ」と言われた。
 ここで、気が付いた。これは褒められたのではない。言い回しが違うのだ。正確に言うならこうだ。「お年のわりに歯はしっかりされていますね。これなら8020は大丈夫そうです」
 くっそう。まだ20年以上先だぞ。
 帰宅し、夕食後、長崎での講演準備を始めたが、エネルギー切れでダウンした。やっぱり8020は近い?

7月26日(火)「いっぱいいっぱい・・・の風さん」
 長崎で講演するときに使うレジュメを用意しようと頑張ったが、結局、出来の悪いレジュメと、以前作成した参考資料の両方を先生へ送り、選択してもらうことにした。お勧めは既成資料である。レジュメではないが、読んで価値ある内容になっている。お持ち帰りに最適というわけだ。
 結局、睡眠時間が3時間くらいで出社した。
 当然眠い。
 しかし、必死で目を開けて、昼休みに英単語の暗記にも挑戦したし、たまっていた仕事もいくらか処理できた。
 さらに、定時で退社して、トレーニングにも行った。もう根性である。1時間みっちりとやった。
 帰宅したら、玄関のドアのところに青蛙のぴょん吉1号と2号がいた。玄関灯で明るいので虫が集まってくる。それをぴょん吉たちは狙っているのだ。
 台所へ入ったら、ちび助がすりガラスの窓に向かって喉を鳴らしていた。イモリがへばりついているのだ。灯りに寄ってくる虫を狙っているのは、ぴょん吉たちと同じである。一種の食物連鎖だ。しかし、ちび助はイモリは食べないだろう。
 今日も無理をしたので、夕食後、リビングでダウンした。
 しかし、午前1時半に目が覚めた。ラッキー。
 トレーニングから帰ってすぐシャワーを浴びているので、再びシャワーを浴びる必要はない……ので、階下へ降りて冷たい水を飲んだ。。目を覚ますためだ。
 午前2時から講演スライド作りに着手した。

7月27日(水)「長崎第1日目:平和公園で震えた風さんの巻」
 午前5時にやっと講演スライドが完成した。旅行の準備はまだできていないが、仕方ない。そのまま書斎で1時間ほどダウン。
 バタバタとトランクに詰めながら着替えもした。販売するための本を用意する時間は全くなかった。
 朝食も適当に済ませ、ワイフにセントレアまで送ってもらった。
 きっと今生の別れといった気持ちで僕を見送ってくれたに違いない。
 空港は預けるトランクのセキュリティ検査でごった返していた。人手不足というより、機械装置の台数が少ないのだ。
 出発ゲートでお気に入りの缶コーヒー「シルキーブラック」を飲みながら搭乗開始を待った。
 掲示板に長崎は雨と出ていた。やばい。傘を持って来なかった。
 機内では眠かった。それでも、りんごジュースのお代わりをもらうくらい、気合は入っていた。しかし、寝不足で頭痛がひどくなってきたので、バファリンを飲んだ。
 長崎に着いたら雨ではなくどんよりとした曇りだった。
 リムジンバスで長崎に向かう前に、土産物屋をチェックした。お土産に買いたいものは空港の売店にはないことを確認した。用意周到な風さんである。
 長崎駅に11時前に着いた。コインロッカーに荷物を預け、身軽になって観光案内所へ。3度目の長崎なので、勝手知ったるなんとやら、だ。路面電車の今日と明日の1日フリーチケットを購入した。
 今回の観光の狙いは「初めてのポイントを征服」である。
 先ず、シーボルト記念館へ向かった。小説にこそ登場させていないが、シーボルトは幕末の重要人物である。そのシーボルトの居宅跡や記念館を見学できて、感動した。滞在中に日本人女性との間に女の子が生まれ、妻子を置いて国外追放になるのだが、母国で結婚して子供ができても、30年後に再び日本に戻ってきた。息子を連れてである。とても事実とは思えないロマンチックな生き様である。今度ドイツやオランダへ行ったら、シーボルトの足跡を訪ねる楽しみができた。
 それにしても暑い。汗が滝のように流れ落ちる。
 続いて、電車を利用して諏訪神社へ向かった。遊歴算家の山口和も来て算額を発見した場所だ。石段をかなり登って拝殿にたどり着いた。お参りした後、境内のベンチに座って、コンビニで買った菓子パン2個を、残っていた「シルキーブラック」で流し込んだ。結局、今日の昼食代は合計340円ということになる。
 今度は歩いて歴史博物館に寄ったが、そこはかつての立山役所を最近になって復元した場所だった。『怒濤逆巻くも』を執筆しているときに、立山役所の資料や文献があまりにも少なくて困ったが、実際そうだった。発掘調査から始めて、わずかに残っていた写真などから復元したわけで、関係者の努力に頭が下がった。上棟式のビデオを観ていたら、施工していたのが竹中工務店だったのでうれしくなった。
 午後3時になったので、電車で長崎駅へ向かい、コインロッカーから荷物を出して、ホテルへ向かった。そこは前から泊まりたかった全日空ホテルだ。
 疲れていたし、足も痛くて、相当に体はまいっていたが、時間は貴重だ。
 着替えてからまた出発。ブリックホールに用があるのだが、まだ時間もあるので、もっと先まで電車で行った。
 平和公園の平和記念像を見学に向かった。平和の泉にたどり着いた時点で、鳥肌が立つようなざわざわした感触が全身を包んできた。
 かつて広島の原爆ドームを見学したときにもなかった感触だ。
 東日本大震災を経験して、想像を絶する悲劇を、やっと現実のものとしてとらえられるようになったのだろうか。
 それとも霊感が強くなったのか。とにかく胸に迫ってくる。
 まだ少し時間があったので、原爆落下中心地にも足を運んだ。
 ここでも言い知れぬ激情が体を走った。その感覚は、子供を抱いた母親の像を見たとき頂点に達した。
 ひどく落ち込んだようになって、九州算数・数学教育研究(長崎)大会の会場になっているブリックホールへ、また電車で移動した。
 レセプションにお邪魔して、明日の講演のための挨拶をした。
 2次会のお誘いもあったが辞退して、ホテルへ戻った。今日は路面電車を6回利用した。
 ラウンジでギネスビールを飲んだ。アイリッシュコーヒーのような色のビールだった。飲む者にまったく媚を売らない苦さで、クリーミーな泡はいつまでも消えなかった。不思議なビールである。
 続いて、マッカランの12年ものでロックを作ってもらった。味は絶品だった。
 部屋で腰の万歩計をチェックしたら、17700歩だった。
 シャワーを浴びたら……、もう日に焼けていた(笑)。
 目覚ましをセットして寝た。

7月28日(木)「長崎第2日目:原爆資料館で落ち込んだ風さんの巻」
 今回は朝食付のプランなので(いつもは「なし」)、7時過ぎに朝食を食べに行った。
 久しぶりに約7時間の睡眠をとったので絶好調のはずだったが、昨日は頑張り過ぎた。疲労がとれていない。それなら朝食で補うしかなかった。なるべく栄養価の高そうなものを選んだ。
 8時にホテルを出て、路面電車で昨日のブリックホールへ向かった。
 パソコンのセットを早々と終え、開会式も客席で聴き、私の講演は、予定よりやや遅れて10時15分くらいに始まった。
 持ち時間は60分である。オーバーは許されなかった。
 聴衆はおよそ400人くらいか(ざっと数えるだけの余裕はあった)。
 昨日の挨拶とは変えて、亡父が農業高校の教員だったという話から始めた。
 講演内容は、和算の紹介から始めて、和算と長崎の接点、そして和算はどんなところで学ばれたか、天文暦学とのつながりへと進め、九州は杵築の出身である麻田剛立とその弟子さらにその弟子の話をした。つまり、教育大会にふさわしい話題提供をしたのである。最後に、初めての児童文学『星空に魅せられた男 間重富』の紹介をしたのは言うまでもない。なんとか60分以内でおさめた。
 関係者から本を求める声があり、時間的余裕がなくて持参できなかったのが悔やまれたが、仕方ない。本当にいっぱいいっぱいだったのだ。
 講演を終えた私は、昨日の続きの観光に出発した。先ず、近いという理由から、原爆資料館である。
 今日も猛暑だった。長崎の平和公園や原爆資料館を見学するには、猛暑の日に限る。いくらかでもあの日を実感できるからだ。
 今日も夢中で見学してしまった。
 昨日のシーボルト記念館の1時間半を上回る2時間近い見学になった。
 非常に滅入った気分になり、足取りは疲労以上に重くなった。
 この資料館を見学してなお原爆は必要だと主張する人間がいたとしたら、そいつは人の皮をかぶった鬼だ。
 やっと会場を出て炎天下に立った直後、ちりんちりんアイスを買った。おばちゃんの視線を避けることができなかった。これも原爆資料館を見学したせいだ。おばちゃんが被爆者に見えた。
 ちりんちりんアイスは100円だった。
 浦上天主堂へ向かう途中で、鯛焼きを買った。大きな鯛焼きだった。110円。
 浦上天主堂ではちょうど葬儀が営まれているときで、しばらく見学に入るのをやめて外で待機した。
 ずいぶんと時間を費やしてしまった。
 電車でホテルへ戻った。部屋は掃除してあった。
 着替えて再び出発。写真を撮るために眼鏡橋へ向かった。
 黙子如定(もくすにょじょう)が作ったという石組みの芸術作品である。
 水辺に降りて、下流側から、続いて上流側から写真を撮った。
 再び電車に乗った。終点の石橋まで乗って、大浦諏訪神社へ向かった。2008年に算額が発見された神社である。
 石橋電停からは急激な坂を登ることになった。
 が、運良く見つかった。
 拝殿でお参り、お札も購入した後、算額のことを尋ねたら、お母さんなのだろう、息子さんの宮司を紹介してくれた。
 信じられない歓迎ぶりで、算額の本物を見せてくれた。神社にはこれ以外の絵馬はないのだという。
 これだけの歓迎をしてくれたのは、算額を調査した米光丁(よねみつひのと)先生がしっかり説明とお願いをしてくれたお陰らしい。研究者が来たらぜひ見せてほしい、と。頭が下がる。
 大浦諏訪神社は大浦天主堂の裏ぐらいに位置していた。
 続いて、夜のグラバー園に入った。今頃は夜の9時半まで開園しているのだ。
 日が暮れかかるころのグラバー園は、それなりの風情があった。喉が渇いたので、頂上付近の休憩所で缶ジュースを飲んだ。120円。これで、今日の昼食代は330円ということになる。昨日とほぼ同額。貧乏作家らしいな。あはは。
 大浦のあたりは蚊が多くて何ヶ所か刺された。貧乏人を刺すな、と言いたかった。
 ホテルに戻ってひと休みして、今度は晩御飯を食べに出撃した。目指すは中華街。また路面電車である。
 ここも初めてなので、女性や家族連れが入っているレストランを探した。ミーハーが集まっているレストランならまず外れはない。
 そこはウェイトレスがすべて着物姿の女性だった。夜は生ビールもつけて贅沢した。味はなかなか美味だった。すべてデジカメに収めた。
 こうしてホテルに戻って、今日のスケジュールが終了となったが、今日は路面電車に7回乗った。
 部屋で万歩計をチェックしたら19336歩だった。

 7月29日(金)「長崎第3日目:52633歩の風さんの巻」
 2日連続の7時間睡眠を確保した。今日も足は痛くない。筋肉痛もない。無茶や無理をしているようで、実はたいした肉体的負荷になっていないのかもしれない。
 3回目の長崎訪問で、まだ行ったことのないスポットがたくさんある。次の機会はいつになるか分からないので、今日も昨日の続きをすることにした。しかし、窓から外を眺めると、今日も夏らしい青空が広がっている。途中でホテルに戻ってシャワーを浴びることはできない。それからお土産もたくさん買う必要がある。となれば、今日はなるべく屋外行動を減らし、屋内活動を増やす作戦にしなければならない。
 朝食はゆっくりと9時から摂った。2日連続ちゃんとした昼食は摂っていないので、今日もそうするつもり。
 部屋で念入りに荷造りをし、10時半にチェックアウトした。
 路面電車で長崎駅まで行き、バスセンターのコインロッカーにバッグを預け、2階の物産館へ行った。ここで、お土産の地方発送をまとめて行い、家族のお土産も買った。大物は長崎空港の売店で買うことになる。
 やっと今日の取材と観光に出発。
 電車の終点付近にある崇福寺(そうふくじ)に向かった。山の中腹にある禅寺で、朱塗りの建物が特徴だ。
 早くも汗だくだくになったが、上の方にたどり着くと、吹いてくる風が涼しくて心地よい。
 なぜか売店が内部にあって、たまたまおばちゃんに「どうして山門に蝙蝠(こうもり)が描かれているのですか」と質問したのが運の尽きで、いろいろとしゃべってくれるのだが、商品を売りたいだけの宣伝文句ばかりで、ちっとも回答してくれない。福山雅治にちなんだ商品が修学旅行生によく売れるとか、これはここでしか買えないデザインの品物だとか、……。何となく母と会話している気分になって、気の毒になってしまったので、ストラップを1個、会社の上司へのお土産に購入した。
 続いて、高島秋帆宅跡へ向かった。
 ずっと坂を登っていく感じで、まるで小さな山城のような立地の屋敷跡にたどり着いた。私は銀杏の木の下で汗をぬぐいながら、この砲術学校兼住居だったらしい建物の姿を想像しようとしたが、困難だった。石を積んで固めた塀と石の倉、井戸ぐらいしか残っていないからだ。
 続いて丸山へ歩いて向かった。遊郭のあった場所だ。狭い石畳の道を歩いていく。やがて、丸山本通りのあった場所に出た。掲示板に当時の写真が出ていて、ふーんと思ったが、実感はない。経験がないからだ。ただし、ここは、決して陰湿な遊郭ではなく、いくらか開放的な場所だったらしい。拙著『怒濤逆巻くも』でも使ったが、研究不足である。
 さらに歩いて、花月のあるところへたどり着いた。現役の料亭だ。偶然、怪しい社用車(白い手袋をしたスーツの運転手付き)が着いて、中から背広姿の男と白いスーツ姿の美女が降りてきた。白いスーツ姿だから堅気だと思ったら大間違いだ。銀座で経験したように、キャバレーやナイトクラブのホステスでも、高級なところはきちんとしたスーツを着ている。どう考えても仕事ではなさそうだった。もてたい一心で、社用車を使って、彼女を高級ランチに誘ったに違いない。どこの社なのか私には分かったが、ここには書かない。単なるヒガミになるからだ。
 時代的な交番の前を通り、思案橋の通りを抜けて、電車通りに出た。
 アーケードにもぐりこむと、日差しがなくなり、商店街の冷房で、とても楽になった。さらに「まちなか竜馬館」に入り、休息をとった。
 坂本竜馬を小説に書くことはなさそうなので、取材の意味はないが、せっかくだったので、地下の展示室へ入った。
 有名な坂本竜馬の写真が、どうやら上野彦馬の写真館で弟子によって撮影されたらしいこと、また後藤象二郎の写真も同じ場所で撮ったような感じ(もたれている台が似ている)がしたことは収穫だった。
 売店でお土産を買い、汗もひいたので、また出撃。
 歩いて、活版印刷の本木昌造宅跡とオランダ通詞の吉雄耕牛宅跡を目指す。
 ところが本木昌造宅跡の石碑は、見つからなかった。近くのホテルが建て替え中で、その間どこかへ避難させているらしいと床屋のマスターが教えてくれた。
 路面電車で長崎駅前に戻った。今日は3回しか乗らなかった……ので、1日フリー券を買わなくてよかった。
 午後4時になっていた。
 近くのファミレスに入って、チーズケーキとドリンクバーを注文した。今日もランチは「なし」で、おやつだけですませることになった。
 午後5時過ぎのリムジンで長崎空港へ向かい、最後の大物のお土産を購入し、ホッとした私はビールで喉を潤した。
 実に充実した講演旅行だったと、久しぶりに達成感があった。
 帰宅し、やっと万歩計を外すと、15597になっていた。3日間の合計は、52633歩。この数字の大きさが、私の満足感に比例しているのだ。
 
7月30日(土)「31年後輩・・・の風さん」
 旧職場を経由して研修所へ出社した。
 節電の影響もあって所内は蒸し暑い。電池式の扇風機を何度も使用する(ずっと使い続けると電池切れになるので、節約しながらの使用だ)。
 帰りに久しぶりに薬局に寄った。まとめて薬を購入し、3月に出版した本をプレゼントした。今頃持ってきて販売するわけにはいかない(私の妙なこだわり)。
 ミッシェルに3000円分だけセルフ給油して帰宅。
 これからは一に体力、二に睡眠、三にリラックスして、執筆を頑張っていこうと思っている。
 夕食後、気まぐれ日記の更新やいくつかのメールを送信したところで就寝時刻になってしまった。うーん、執筆できなかった……。
 旧職場に大学の後輩が配属されてきた。実に31年後輩となる。彼に輝かしい未来があるかどうかはすべて彼自身が決めていくことになる。頑張ってください。僕は僕のこれからを自分で切り開いていくしかない。おやすみなさい。

7月31日(日)「トレーニングは忘れない・・・の風さん」
 研修所へ出社するときは有料道路を利用する。
 日曜日だからでもないだろうが、今朝は黄色のフェラーリと並走した。
 黄色だったので、最初はフェラーリだと思わなかった。追い越されていったとき、リヤに燦然と輝く「跳ね馬」のエンブレムが見えて、納得した。
 しかし、やはりフェラーリには赤が似合う(実は、風さんはフェラーリにあこがれている)。
 今朝もポストに投函してから出社。
 今日は終日オフィスでデスクワークになりそうだったので、午前と午後に所内で運動した。エコノミークラス症候群対策で、階段を使って4階まで行って戻ってくるのである。涙ぐましい努力。長崎で歩き回ったこととのギャップが激しい。
 で、帰りに、町の体育館へ直行し、トレーニングもしてきた。
 長崎で少しはシェイプアップしたかと期待したが、体重は微増だった。
 今月からトレーニングを再開して、通算6回目だった。

 2011年8月はここ

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